研究の対象:生体膜

 動物や植物の細胞の外側は細胞膜で外界と仕切られています。また、ミトコンドリア、ゴルジ体と言った細胞内小器官も外膜により内外が区別されています。これらの膜を総称して生体膜と呼んでいます。

 生体膜は、その主構成成分である脂質が自己組織化して形成する二重膜構造を基本骨格としています。細胞を構成する生体分子において、核酸は4種類の塩基、タンパク質は約20種類のアミノ酸が基本単位ですが、生体膜は数百種類以上の脂質から構成されています。また、生体膜中の脂質組成は細胞種類により大きく異なり、また生物種によっても顕著に異なっています。他の生体分子に比べて、一体、どうしてこのような数多くの脂質が存在しているのでしょうか。脂質分子は合目的に分子集合体を形成することを考えると、何かその理由があるはずです。

自己集合系の一形態:二重膜

自己集合系の一形態:二重膜


 私達の研究の大きな特色は、温度、濃度と同様に圧力を生体膜研究の解析ツールとして使用していることです。温度や濃度のような変数は、伝播に拡散過程を含むため、到達の遅延、局所的な差違が起こるのとは対照的に、圧力はパスカルの原理で均一、等方的且つ瞬時に作用します。圧力は脂質膜にメカニカルな大きなゆらぎをもたらすので、その結果、常圧下では観測不能な現象や新規な現象が観測できます。膜作用性薬物(麻酔薬)の作用が圧力によって覚醒する現象(麻酔作用の圧拮抗)は、その代表例です。

 私達は、生体膜の関与した様々な生命現象(相変化、非二重膜形成、脂質ラフト、膜融合・膜分裂、麻酔作用機序など)の解明を目指し、主に生体モデル膜(脂質二重膜)を対象として生物物理学的手法あるいは界面科学的手法によるアプローチで以下のような研究テーマを実施しています。

 日本生物物理学会ホームページ内の研究紹介ページ(B-08:脂質膜の相転移B-09:脂質膜低分子相互作用)および学科ホームページ内のA1研究室の研究内容ページもご参照下さい。

研究内容の紹介

モデル生体分子を用いた麻酔作用の比較研究
概要
・脂質二重膜を用いた比較研究
 現在の麻酔メカニズム理論の奔流は、脂質膜説から麻酔作用は膜タンパク質との特異的な相互作用により発現すると考えるタンパク受容体説に完全に移行しました。しかしながら、麻酔薬に構造特異性が見られないことや有効作用濃度が受容体薬物に比べて1000倍以上大きいことを考える時、麻酔作用メカニズムがタンパク受容体説で説明できるのかどうか疑問です。私達は、タンパク受容体説への反証の一つとして拮抗性リガンドを用いた脂質二重膜へのリガンド相互作用の比較研究を行うことにしました。結果、長鎖脂肪酸が吸入麻酔薬のアンタゴニストになりうることがわかりました。吸入麻酔薬はDPPC二重膜の液晶相に強い親和性を有し、相転移温度を降下させ、二重膜の流動性を上昇させます。これに対して飽和脂肪酸はDPPC二重膜のゲル相に強い親和性を有し、相転移温度を上昇させ、二重膜の流動性を逆に低下させます。また、不飽和脂肪酸は主転移温度を麻酔薬と同様に降下させますが、ゲル相では異なった親和性を示します。一般に脂質膜のリガンド認識能は低いものとして見なされていますが、上記の結果は、脂質膜は膜状態により分子構造が異なるリガンドを認識可能なことを明示しています。
 
図11(Web)

図11 DPPC二重膜相転移温度におよぼすリガンド効果
 
・水溶性球状タンパク質を用いた比較研究
 麻酔薬の作用場は生体膜であることは特定されており、この生体膜は脂質二重膜とタンパク質から構成されています。従って、脂質二重膜のみならずタンパク質への麻酔薬感受性を調査することが肝要です。そこで私達は、水溶性球状タンパク質を用いた麻酔作用の比較研究に着手しました。まず、モデルタンパク質としてウシ血清アルブミン(BSA)を選び、BSAの熱安定性と体積挙動への吸入麻酔薬と長鎖脂肪酸の与える影響を調べました。その結果、両リガンドの効果には明確な差異があることを見出し、両リガンドの結合データをX線結晶構造解析による微視的な結合データと比較した結果、吸入麻酔薬はBSAに対する非特異的結合剤、長鎖脂肪酸は特異的結合剤であることを明確にしました。また、さらに、ミオグロビン、リゾチームと言ったタンパク質についても検討を行った結果、麻酔薬のタンパク質に対する相互作用は本質的に非特異的であり、麻酔薬とタンパク質両者の相互作用様式は麻酔薬の疎水性、タンパク質表面の親水性、タンパク質構造の硬直性および作用濃度における麻酔薬とタンパク質のモル比の4つの要因から統一的に解釈できることを結論づけました。最近は、タンパク受容体説の拠り所となったタンパク質であるホタル発光酵素ルシフェラーゼ(FFL)に着目し、熱量測定を中心とした比較研究を実施しています。
 
図12(Web)

図12 BSAへのリガンド効果(A,B)とタンパク質の麻酔薬感受性の模式図(C)

参考研究業績
1.
M. Nishimoto, T. Hata, M. Goto, N. Tamai, S. Kaneshina, H. Matsuki, I. Ueda, Interaction Modes of Long-chain Fatty Acids in Dipalmitoylphosphatidylcholine Bilayer Membrane: Contrast to Mode of Inhalation Anesthetics, Chem. Phys. Lipids, Vol. 158, No. 2, pp. 71-80, (2009).
2.
M. Nishimoto, T. Morimitsu, N. Tamai, S. Kaneshina, H. Nagamune, H. Matsuki, Inhibition of Anti-fluorecent Probe Monoclonal Antibody by Long-chain Amphiphiles, Colloids Surfaces B: Biointerfaces, Vol. 75, No. 1, pp. 80-87, (2010).
3.
M. Nishimoto, U. Komatsu, N. Tamai, M. Yamanaka, S. Kaneshina, K. Ogli, H. Matsuki, A Comparative Study of Specific and Nonspecific Interactions in Bovine Serum Albumin: Thermal and Volume Effects of Halothane and Palmitic Acid, Colloid Polym. Sci., Vol. 287, No. 8, pp. 979-989, (2009).
4.
M. Nishimoto, U. Komatsu, N. Tamai, M. Yamanaka, S. Kaneshina, K. Ogli, H. Matsuki, Intrinsic Interaction Mode of an Inhalation Anesthetic with Globular Proteins: a Comaprative Study of Ligand Recognition, Colloid Polym. Sci., Vol. 289, No. 17-18, pp. 1785-1797, (2011).